WEB版あいちゃん便り
イノシシの眼の特徴と護王神社
イノシシの眼の特徴
【眼球】眼は比較的小さいが、サイズ自体はヒトとほぼ同じ大きさ。
【視力】イノシシの視力を調べたもの見当たらない。
視力自体は、あまり発達していないとかんがえられています。
同類のブタでは0.1を下回る程度
(100m先から人間を見分けるには、十分な程度の視力。)
夜目はあまり利かないと考えられています。(江口2003)
【視野】眼が頭部の側面についているので、約310度もの広い視野を持っています。
【色覚】色の弁別は可能と言われています。
青~青緑と紫の一部についてはハッキリと識別できるが、赤や緑の色は見えにくいらしいです。
護王神社とイノシシ
奈良時代、称徳天皇の寵愛を受けた、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)という僧が法王となり絶大な権力を振るっていた。道鏡は、天皇になる野望を抱き、「『道鏡を天皇にすれば天下は平和に治まる』と宇佐八幡より(ご神託のお告げ)があった」と天皇にウソを告げたのです。
天皇は、ご神託の真偽を確かめるため、和気清麻呂公を九州の宇佐八幡へ遣わせた。都へ戻った清麻呂公は「皇室の血筋でない道鏡は掃い除くべし」との宇佐の大神のご神託を天皇に報告しました。
これに激怒した道鏡は、清麻呂公の足の腱を切り、大隅国(鹿児島県)へ流罪にした。旅の途中、清麻呂公は御礼のため宇佐八幡へ立ち寄ることにしたのです。
豊前国(福岡県東部)付近まで来た時、どこからか三百頭ものイノシシが現れ、清麻呂公の輿(こし=乗り物)の周りを囲み、道鏡が放った刺客から公を警護するかのように十里(約40km)の道のりを案内した。清麻呂公が宇佐八幡での参拝を終えると、イノシシたちはどこかへ去っていきました。
不思議なことに、清麻呂の足の痛みは治り、再び歩けるようになっていたのです。
一年後、称徳天皇の崩御により、道鏡は関東へ左遷されました。
都へ呼び戻された清麻呂公は、時の天皇の信頼を得て活躍し、
晩年まで世のため人のために尽くしたのです。
清麻呂公の立派な人柄と、彼を守ったイノシシのお話は後世まで
語り継がれることとなり、彼を祀る護王神社には、狛犬の代わりに狛
イノシシが建てられ、今も清麻呂公を護り続けています。